若い頃は「サッカーをする」という選択肢しかなかった。―永里優季(プロサッカー選手/ライデンシャフトCEO)前編
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若い頃は「サッカーをする」という選択肢しかなかった。―永里優季(プロサッカー選手/ライデンシャフトCEO)前編

時代が注目するキーパーソンにポール・スチュアートが迫る「STYLE SESSION」。今回のゲストはプロサッカー選手の永里優季さんです。弱冠16歳で女子サッカー日本代表に選出され、その後海外のビッククラブへの移籍を果たすなど日本の女子サッカー界を牽引してきました。なでしこJAPANでのW杯やオリンピックでの活躍は、皆さんの目や心に今でも焼き付いているのではないでしょうか。現在は、アメリカのナショナル・ウーマンズ・サッカーリーグ(NWSL)のシカゴ・レッドスターズに所属するトッププレイヤーと、自身で立ち上げた会社のCEOという二足の草鞋を履いている彼女。数々の決断を経験したからこそ感じられる、自立した女性としての魅力に迫りました。

Photo. Hideyuki Seta / Text. Daisuke Kobayashi / Edit. Pomalo Inc.


ポール・スチュアートと永里優季さんの意外な関係性


― 今回、永里さんにお話を伺う前に、実はポール・スチュアートと永里さんには共通点があるんです。それは、イギリスとアメリカの両方に接点があることです。

そうなんですか!私もチェルシー(イングランド)での経験を活かして今のシカゴ・レッドスターズ(アメリカ)に至っていますもんね。歴史あるポール・スチュアートとそのような経緯で共通しているのはとても光栄です。敷居の高いイメージもありましたが、それだけで少し親近感が湧きますね。

― 英国のスーツスタイルを元にアメリカの解釈を加える、この辺りはとても近いのではないでしょうか。今回、お選びいただいた商品にもその伝統は反映されています。

普段着がカジュアルな私にとっては、なかなか自分では選ばないアイテムでした。身が引き締まるというか背筋がピンと張るような清々しさがありますね。私自身、いつも服装に関してはあまり目立たないもの、色で言うと黒やネイビー、グレーなどがほとんどで、クールな印象を心掛けています。今回選ばせていただいた洋服にもそういう観点はありますね。ただ、女性らしい部分があるというのは魅力的です。また、シカゴにもお店があるということなので、ぜひ一度お伺いしてみたいですね。


サッカーの魅力に取りつかれるのは先の話


― サッカーを始めたきっかけはなんだったのでしょうか

サッカーを始めたのは小学校1年生の時です。兄がサッカーを始めて、妹も同じように始めていって。……ただ、実は私は(サッカーを)やりたくなくて。私はその時、体操をしていて、二人と同じことをしたくなかったんです。今も同じ考え方なのですが、同じように見られたくない、人と違うことをしている方が楽しいんじゃないか、って思っていました。当時だと、年上の兄と比べられるのも目に見えていた部分もあったので(笑)。ただ、親に連れられて、半ば強引に始めることになってしまいました。なので、やりたい!とか運命的な出会いがあって、などで始めた訳ではないんですよ。

― では、当時はプロや日本代表への想いはなく?

そうですね……リアルに現実味を帯びたのは日本代表に選ばれた時ですね。「あ、私日本代表になれるんだ」って(笑)。ただ、なりたいという気持ちが芽生えたのは小学6年生くらいでしょうか。初めて自分の意思を明らかにしたのは、中学校の進路希望調査で「アメリカでプロサッカー選手になる」と書いて提出した時ですね。当時は日本にプロチームがなかったので、アメリカ!と。あとはプロに“なりたい”というよりも、“なるしかない”という表現が正しいかもしれません。両親が「何かをするなら上を目指しなさい」という教育方針だったこともあって、小学校を卒業する頃にはサッカーの道を選ばざるを得ませんでした。自分でもサッカー以外の仕事は想像できませんでしたね。

― 16歳で日の丸を背負うプレッシャーは計り知れません。

高校2年生で代表に選ばれたんですが、最初は「どうしよう」という戸惑いが強かったです。当時の所属チーム(日テレ・ベレーザ)では故障で試合に出られていなくて。その故障明けすぐのことだったので、自分がどう貢献できるのか不安に感じたことを今でもはっきりと覚えていますね。しかも、年上の先輩ばかりで怖かったり……当時の話ですよ、当時の(笑)!私自身、人見知りなので話しかけることもできなくて。でも、迷惑はかけられないし、国を背負う一員として選ばれたので、とにかく先輩たちに付いて行こうという気持ちで必死になっていました。

世界と戦う上でより国籍を意識するように


― 日本代表として世界と戦う上で考え方は変わりましたか?

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最も考えさせられるようになったことは「日本代表として試合をする意味」です。サッカーをする上での強くなりたい、上手くなりたい、勝ちたいという“純粋な気持ち”は選手として持ち続けている部分ですし、なければならないのですが、代表としては日本人という国籍を意識しながらプレーをするようになりましたね。特に15年弱の代表生活があったので、常に日の丸を背負っているというプレッシャーもありましたし、より身近に日本というものを感じていました。

― 長く代表にいることで立場も変わってくるのでは?

そうですね。16歳での日本代表としては先輩に付いて行くことに必死でしたが、30歳の日本代表は自分の今までの経験や価値観を後輩に伝えていったり、フォローしたり……。やはり(年齢が)上に行けば行くほどやるべきことも変わりますし、いつまでも若いままではいけないなと。その辺りは普通の社会人でも同じことが言えると思うんです。年齢が変われば役職や立場が変わるように、日本代表も会社や部署のようなひとつのチームなので、大人としての立場は考えるようになりましたね。

― 海外でのプレーも伝えることの糧になっているのですね。

日本人としての意識は海外に出たことでより芽生えたように思えます。もちろん世界と言っても今まで経験してきたイングランド、ドイツ、アメリカと国によっても考え方からプレーの仕方まで、本当に様々で。それにフィットするように自分を変化させて行くのか、自分を貫いて周囲に納得させるのか、ひとりの人間、ひとりのプレイヤーとして考えなければいけませんでした。「日本人だから」という言い訳は全く通用しませんが、日本を代表してそのチームにいるということは忘れずにプレーをしています。海外でのその意識が、日本代表として帰ってきた時に活きているとは思いますね。

>>中編に続く(3月8日(木)公開予定)


(永里 優季様着用アイテム)
JACKET ¥39,000(+TAX)
BLOUSE ¥19,000(+TAX)
PANTS ¥23,000(+TAX)

問い合わせ先/ポール・スチュアート 青山店 Tel.03-3406-8121

PEOPLE PROFILE

永里 優季 Yuki Nagasato
プロサッカー選手/ライデンシャフトCEO

1987年神奈川県生まれ。小学生よりサッカーを始め、FC厚木レディースを経て、日テレ・メニーナ、そして日テレ・ベレーザへ。中学3年生時のU-18ユース選手権での優勝、最優秀選手賞の受賞で注目を集め、2004年アテネオリンピックのアジア予選メンバーとして日本女子代表に初選出。同タイ戦で代表戦デビューを飾る。2010年にはドイツ・女子ブンデスリーガ1部所属の1.FFCトゥルビネ・ポツダムへと海外移籍。その後、イングランドのチェルシーLFC、ドイツのVfLヴォルクスブルク、1.FFCフランクフルトといったビッククラブを経て、2017年よりアメリカNWSLのシカゴ・レッドスターズに所属。また、同年に株式会社ライデンシャフトを設立、そのCEOも務める。

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